地方自治体の自治能力のなさについて
以前の記事で少し触れましたが、地方分権がうたわれているにしては、地方自治体の自治能力は低いと考えます。
それは大きく分けて3点あります。
一つは、職員の専門知識のなさ、もう一つは財源のなさ、そして職員の自治意識の低さ。
これらについて、僕の経験を踏まえて記述したいと思います。
地方自治体の職員は、国の省庁の職員と違い、広範な分野の人事異動があります。
僕が知り得る限り、国の職員は、例えば国土交通省の職員であれば、基本的に国土交通の分野に関わるのでそれなりの専門性が培われます。
しかし自治体の職員は、土木、水産、環境、福祉、教育、会計、経済、税務、医療などなど、ほぼ無関係の分野への異動が2、3年ごとに40年続き、なんの専門知識も身に付かないまま退職します。
身につく能力は、よくわからないことをそれっぽく説明する能力だけです。
僕自身、入庁して10日で担当業務説明会の「説明役」を、1ヶ月程度で民間団体への監査を行いましたが、書類を見ても何が何やらさっぱりわかりませんでした。それでも「それっぽく」やることに注力しました。
その時は自分の経験と能力のなさだと反省したものですが、結局は数年で異動するので、次の部署でもその次の部署でも、何もわからないまま「それっぽいこと」を言う能力だけが身に付いていったのです。
逆に言うと「それっぽく」言えば済むレベルの仕事しかないのです。
中にはその人の人生に関わるような相談を受ける部署にもいましたが(その相談業務はルーチンワークの合間に行なうレベル)、研修もなにもなく、「何の知識もない一般人」と同じレベルでしか話を聞くことができず、軽やかに受け流すことだけがうまくなっていきました。
本当につらかったのは、自治体独自のとある助成金の必要性を民間から要望されたのですが、僕自身その分野のことを何も知らず、何の熱意も持てず、何の思い入れもないのに、財政部署に必要性を訴えることになったことです。
当然説得できるわけがありません。ただただ財政担当から資料を持って来いと突き返される毎日でした。財政担当も最初から自治体財政負担が増える話を上に持って行く気などないのです。持って行けば彼自身が説明を求められるからです。
担当から直接上に持って行くとすれば、「それを見れば世界中の誰もが簡単に理解でき、反論の余地なく受け入れられるレベル」の資料を用意できた場合です。
正直言って、ほぼ全ての政策は賛否両論があります。
そういう政策的必要性は、理屈では説明しきれないため、最終的に判断するのは政治の仕事なのではないかと思いますし、そのための選挙だと思います。
少し話が逸れました。
つまるところ、専門知識がない職員は基本的に「前年やったこと」を「今年も滞りなくやる」ことに全力を傾けるため、政策の立案などできるわけがないのです。
これは定年寸前のベテランも同じです。職員は基本的に2、3年ごとに知識がリセットされるからです。
ただ、担当して3年目にもなると、ある程度担当分野の知識が培われ、制度の問題点にも気づいてくるのですが、ここで新しく何かやろうとすると中途半端な知識ゆえに混乱が生じてしまい、来年引き継ぐ職員に悪いのであえてなにもしないのです。
行政の仕事というのは、ほとんど「ボトムアップ」なので、ヒラ職員がまず案を作り、係長、課長、部長、首長へと御説明を繰り返すのです。
基本的に、何を突っ込まれても返答できるように準備しなければならないので、とてもめんどくさいです。
その割に給料が上がることもありません。
従って職員はできるだけ仕事しないように努めるのです。
このように、自治体には自治できるほどの能力も財源も意識もないのでありました。